こんにちは。前回の記事では、親御さんの「いつもの習慣ができなくなる(=脳が極限まで疲労しているSOSサイン)」ことについてお話ししました。
今まで当たり前にできていた料理や家事を失敗する姿を見ると、ご家族としてはどうしても「なんでできないの!」「前も言ったでしょ!」と口出しをしたくなりますよね。しかし、その「怒り」や「指摘」は、親御さんの脳と心を深く傷つけ、症状をさらに悪化させる引き金になってしまいます。
今回は、親御さんの不安を取り除き、穏やかな生活を守るための具体的な環境設定(引き算と足し算のサポート)について、言語聴覚士(ST)の視点からお話しします。
絶対ルール:「失敗体験」をさせない、怒らない
認知症や高次脳機能障害のケアにおいて、もっとも大切な大原則があります。それは**「本人に失敗を自覚させない(失敗体験を積ませない)」**ということです。
例えば、お母さんがお味噌汁の味付けに失敗した時、「またお塩とお砂糖を間違えてるじゃない!」と指摘したとします。ここで、認知症の方の脳内では非常に厄介な現象が起きます。
- 事実(エピソード記憶)は忘れる: 数分後には、「塩と砂糖を間違えた」「娘に料理のことで怒られた」という『出来事そのもの』はスッポリと忘れてしまいます。
- 感情(情動記憶)は残り続ける: しかし、「自分がダメな人間だと否定された悲しさ」や「娘の怖い顔」といった『不快な感情』だけは、脳の奥底(扁桃体など)にずっと残り続けるのです。
これを繰り返すとどうなるか。本人の頭の中には**「理由は分からないけれど、いつも自分を不快にさせる嫌な娘」**という感情だけが蓄積されます。これが、介護への強い拒否、暴言、徘徊といった「周辺症状(BPSD)」を引き起こす最大の原因なのです。
私たちSTは、「失敗してから直す」ことはしません。**「失敗しそうな要因を最初から取り除き、本人が気づかないうちに成功へ導く」**ことを徹底しています。
脳の負担を減らす「引き算」のサポート術(料理編)
では、料理の手順が悪くなったり、味が変わったりした時はどうすれば良いのでしょうか。 「危ないからもう台所に立たないで!」と料理を完全に取り上げてしまうのは最悪の選択です。「役割」を奪われた親御さんは、一気に認知症が進行してしまいます。
ここで使うのが、脳の負担を減らす『引き算』のサポートです。 本人の脳がパンクしている原因(複雑な工程管理や計量など)を、家族がこっそり引き算してあげましょう。
【具体的な工夫例】
- 具材はあらかじめ切っておき、調味料も小鉢に計って合わせておく。
- 「あとはお鍋に入れて煮るだけ」という一番簡単な状態にしてから、「お母さん、ちょっとお鍋の火加減を見ててくれない?」とバトンタッチする。
難しい段取りは家族が引き受け(引き算)、体で覚えている動作(お玉で混ぜるなど)だけをお願いします。「お母さんのおかげで助かったわ」と声をかければ、「自分はまだ役に立てるんだ」という自信と意欲(役割)を守ることができます。
記憶力を補う「足し算」のサポート術(予定編)
次に、「今日が何日か分からない」「デイサービスに行く日を忘れる」といった場合です。 「カレンダー見てってさっきも言ったでしょ!」と口で何度説明しても、耳から入った音声情報は、衰えた脳の記憶のザルからすぐに抜け落ちてしまいます。
ここで使うのが、外部の記憶装置を補う『足し算(視覚化)』のサポートです。 記憶力に頼らせるのではなく、「見ればパッと分かる」環境を足してあげましょう。
【具体的な工夫例】
- 部屋の一番目立つ場所に、文字の大きなカレンダーを貼る。
- 毎朝、「今日」の日付に一緒に赤い丸をつける、または昨日までの日付に「バツ」をつける習慣(新しいルーティン)を作る。
- デイサービスや通院の予定は、文字だけでなく「車のマーク」や「病院のマーク」のシールを貼って視覚的に目立たせる。
「いつだっけ?」と不安になった時に、パッと見て自分で確認できる環境があるだけで、親御さんの心は劇的に安定します。
まとめ:家族だけで抱え込まず、プロの力を頼って
ここまで「引き算」と「足し算」のサポート術をお伝えしましたが、ご家族に一つだけお願いがあります。
それは、**「24時間、ご家族だけで完璧なサポートをしようとしないでください」**ということです。 仕事や家事をしながら、親御さんの「できないこと」を常に予測して先回りするのは、絶対に不可能です。ご家族がストレスで共倒れしてしまいます。
「最近、家での対応に限界を感じてきたな…」 そう思ったら、それは介護保険サービス(デイサービスや訪問リハビリ)の頼りどきです。 私たちプロのスタッフは、「今の認知機能で、どこまで引き算をして、何を足し算すればいいか」を見極める専門家です。
プロの手を上手く借りて親御さんの安心できる環境を整え、ご家族は「介護者」としてピリピリ監視するのではなく、笑顔で接する「家族」としての時間を取り戻してくださいね。
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